少し遅くなったが、我が推しメンである梅本泉さんが18歳を迎えたことについて、
お祝いの言葉と思うところを書いておかねばなるまい。
私の梅推し歴は、たかだか3ヶ月程度だ。
研究生の頃から梅を発見して、ずっと応援し続けてきた人と比べたら、
彼女が今までどんな思いで活動してきたのか、
また、それをどんな風に表現してきたのかを私はほとんど知らない。
ただ、今の彼女を見ていれば、加入からの3年近くで積み重ねてきたものが、
ようやく花開き始めているのだということがよくわかる。
ずっと応援し続けている人にとっては、
最近の梅の活躍は本当に飛び上るほど嬉しいことなのではないだろうか。
その感動を共有できないのは少し悔しいが、
このタイミングでも梅本泉の魅力に気付くことができてよかったと、心の底から思っている。
さて、梅が総選挙のアピールコメントと生誕祭で語ったことの中で、
どうしても触れておきたい言葉がそれぞれ一つずつある。
まずは生誕祭から、「私を推してて楽しいのかな」という言葉。
私の聞き及ぶ範囲では、今回の生誕祭は客層を占める梅推し率が非常に高かったようだ。
当日のあまりに熱烈な声援を聞いたこともあってか、
彼女は熱心に応援してくれるファンに対して、
自分に甘いとか、妥協したり手を抜いてしまうとか、
そんな自分を後ろめたく感じていることを吐露し、涙した。
「今の自分が嫌いです」とまで言い切ってしまうほどだ。
きっと彼女は、これまでも自分の心とバカがつくほど真面目に向き合ってきたのだろう。
それが彼女のこの上ない魅力であることは間違いないのだが、
一つ勘違いしてほしくないのは、
我々ファンは決して順調に活躍する姿だけを楽しみにしているわけではないということだ。
勝手な言い分かもしれないが、悩んだり苦しんだりしているのを知っているからこそ、
ファンはそれに呼応するように応援するものなのである。
「こんなに駄目なのに、なんで推してくれるんだろう」は順番が逆だ。
駄目なところを認めて、それでも前を向いて頑張っているのを知っているからこそ、
梅本泉がそういう人間だとみんな知っているからこそ、応援のし甲斐があるというものだ。
金を払って若い女の子が苦しむ姿を楽しむ残酷ショーだという見方もあるだろう。
はっきり言って、私はその見方は概ね正しいと思うし、
売る方もそういう売り方をしているのは間違いない。
だから私は映画の「DOCUMENTARY of ○○」を食わず嫌いで見ていない。
ただ、これだけは言っておきたいのだが、そういった単なる「消費行動」ではなく、
苦しんでいるならその苦しみを、悩んでいるのならその悩みを少しでも和らげてあげようと、
一ファンというちっぽけな立場ながら一生懸命考え、そして行動しようと思える相手。
そういうメンバーを我々は「推しメン」と呼ぶのである。
だから私は来週の握手会では、生で見てみたい色んなメンバーの券を買ってはいるのだが、
梅に関しては何を伝えようか本当に悩んでいる。
少しでも気分を上向けてあげたい。少しでも活動が楽しくなるようにしてあげたい。
私の力でそんなことができるとは思えないが、それでもやってみずにはいられない。
だって、私は普段こんなにも楽しませてもらっているのだから。
そしてもう一つ、アピールコメントで語った「私のこと、見逃さないでください」という言葉。
これにはもう、梅推しとしては「御意」としか言いようがないのだが、
いよいよ梅も積極的に「見つかっていく」段に来たのかなという感じだ。
というか、そもそも私も入口はおでかけなので、
露出が大幅に増えてから「見つけた」側の人間である。
このブログがファンを増やすきっかけになるのかというとそれも甚だ疑問だが、
一人でも多くの人が梅本泉を見つけられる手伝いをしたいというのが、
私の偽らざる気持ちである。梅推しは楽しいぞ。こっちへおいで。
最後に、梅本泉さん、18歳おめでとう!これからも、絶対に見逃しません。
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