みなぞう、りーぬ、そして咲良と、
明治座で抜けている間に誕生日を迎えたメンバーの生誕祭が立て続けに行われた。
4月末にはまなみんの卒業公演があったり、
最近やたらと密度の濃いHKTの活動内容の中でも、
この1週間は特に色々なことがあったように思う。
総選挙が近いこともあり、おそらくメンバーもファンも、
いつもよりグループの今後について真面目に考えた期間だったのではないだろうか。
まあ、私個人としてはあくまで総選挙は数あるイベントの一つに過ぎず、
メンバーの将来を左右するような大事ではないと思っているのだが、
どうも当のメンバーたちがそう捉えていないようなのは仕方のないことか。
さて、明治座の記事で私は咲良のことを、
「HKTの精神的支柱として指原に代わる役割を務められるレベルに到達した」と評した。
当該記事ではここまで断言はしなかったものの、先日の生誕祭を見て、
私はこの考えが正しいと確信を持った次第である。
半年ぶりに劇場に立った咲良は、私にとっては初めてDMM配信で目にする姿で、
多分これで劇場で見ていない現役メンバーはいなくなったはずだが、
やはり咲良一人だけ画面越しでも伝わってくるオーラが全く違った。
これは指原支配人にさえも感じなかったことである。
半年のブランクへの心配など全くの杞憂で、
どの曲もすっかり仕上がったパフォーマンスにびっくりしてしまった。
梅やなおぽんのようにわかりやすく技術が高いというわけではないのだが、
おそらく咲良のパフォーマンスを支えるのは、その尋常ならざる集中力に由来するものだろう。
とにかく無駄な振り、無駄な表情が一つもないのだ。
私は趣味でクラシックギターをやっているが、
ギターが上手い人というのは指がよく回る人でも速弾きできる人でもなく、
音符の一つ一つに「意味」を持たせ、
その意味と意味を繋いで「物語」に昇華させることができる人のことだと思っている。
公演中の咲良の表情は全て意味ありげで、流れるように様々な感情を映していく。
それは歌やダンスの上手さとは別の、確固たるスキルである。
特に初めて披露した夜風の仕業は、息を呑むような美しさだった。
MCや生誕祭のスピーチでも同じことが言える。
自分の置かれた立場やグループの状況をしっかりと理解して、
誰もが前を向けるような言葉をその場その場で見つけ出して語ることができる、
これは先頭に立って引っ張っていく人物になくてはならない能力だ。
最近は特に卒業について言及することの多い指原支配人だが、
私は指原が抜けた後のHKTというものに全く不安は感じていない。
もう既に宮脇咲良という、グループを支えられる存在が育っている。
そんなことを感じさせてくれた、とても有意義な生誕祭だったと思う。
願わくば、もうちょっと咲良が楽できるように、
他のメンバーにも役割を割り振ってあげてほしい。
咲良はいつかぶっ倒れるんじゃないかと、それだけが本当に心配だ。
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